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  • 2016.11.03 Thursday
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【無料動画】 恋愛講座 〜なんと総動画時間無料分だけで50分間!!〜

 

 

お久しぶりです☆

 

坂口専務あらため、幸せ師ユーイチです☆(笑)

 

もう数年放置しているブログですが、いまだにアクセスが結構あることに驚いています^^;

 

ありがとうございます。

 

この度、恋愛動画をつくりました。

 

無料で見れる動画も50分ほどあるので、ぜひご覧下さい。

 

「まなつく」という実績のある動画販売サイトで販売して、ちゃんと審査もおりているので安心してご購入いただけます。

 

無料動画だけでもかなり勉強になるので、よかったら無料動画だけでもご覧くださいね^^

 

ちなみに、この動画に映っているのが私なので、動画を観ると私の顔を見ることができます(需要あるか?)

 

詳細は以下をクリック↓↓

http://siawasesi.net/page-168/

 

 

 


乗り換えればいい

 久々の更新です。
 最近、とあるメルマガでこんな文章があった。

 「乗り換えればいい」
 電車に乗っていると、酔っ払ってまわりにからむ不愉快なオヤジがいた。
 乗客は、不可抗力であらわれたこの事態に、じっと耐えていた。
 私は、次の駅で、他の車両に乗り換えた。
 他の乗客は、まだあの不愉快なオヤジに耐えているかもしれない。
 でも、私は他の車両に乗り換えて、今は平穏だ。
 ズルイ?
 まさか。
 車両を変える自由は誰にでも与えられている。
 不愉快なら、乗り換えればいい。

 〜以上〜

 深いですね、この話。
 仕事や、人間関係にも応用できますよね。
 よく、仕事の愚痴を言ってる人をみますが「じゃあ、乗り換えればいい」です。
 「そうは言っても現実はなぁ」なんていう人もいるが、日本には、転職の自由がある。乗り換える自由は誰にも与えられている。
 「お前、いい年して転職なんかできない」と言う人には、じゃあ、起業すればいい。今の日本は1円で株式会社が作れる。
 それでも、愚痴る人間と付き合うつもりは無い。
 ならば、愚痴などいわず今の仕事に精をだすべきだ。
 どうせ、乗り換える勇気など無いのだから。

 人間関係も同じ。
 ハッキリ言って、親以外は人間関係なんて選べる。
 「仕事場は?」なんていわれそうだが、仕事場は共通意識を共有することで一致団結できる(この話は深いです。将来、本を出版するときに詳しく書きます)
 だから、人間関係も選べばいいのだ。
 親は選べないが、生んでくれた親だから、そこは感謝してつきあわないと。
 
 んで、人間関係だけど、ハッキリ言って、親以外はすべて選べる。
 だから、いやなら乗り換えればいい。
 
 だから、僕は最近は無理していろんな人に会わないようにしている。
 一緒にいて、楽しい人、私のことを認めてくれている人とだけ会うようにしている。
 そのほうが、楽しいし、仕事もスムーズだ。

 「合わない人間こそ大切」
 と言う人もいるが、その真意を教えてほしい。
 はっきりいって、合う人間と仕事したほうが気持ちいいし、成果もでる。
 自分を認めてくれている人と仕事したほうが、いろんな仕事を任せてもらえるし、こちらも任せられる。
 合わない人間は、そもそもこちらを信頼してないから、仕事が成り立たないのだ。
 
 ただし、補う人間は別。
 たとえば、私は細かい計算が苦手。大きな夢を抱くことができても、そこを計画立てて詰めていくのが苦手。
 それを得意とする人間は、パートナーとして重宝する。

 でも、それでもその人は私のことを認めてくれているのが大前提。

 認めてくれない人の元にいても、はっきり言っていいことないし、こちらが潰されてしまう。

 最近、それで人生が上手くいっているので、より強く確信しました。

東北地震義援金への寄付


12日の路上鑑定の売上金を全額を、東北地震義援金に寄付することを決める

売上金と皆様の寄付で30,399円が集まった。


今朝、日本赤十字社長崎支部へ「東北地方太平洋地震」と通信欄に明記の上、寄付を行った。


鑑定を受ける方のほとんどが、寄付に協力してくださったのも嬉しかったが、中でも心をうたれたのは、通りすがりの方が、募金だけをしてくださったこと。また、そんな方が結構いらっしゃったこと。
涙が出そうだった。


カンボジア井戸完成☆

 
 ついにカンボジアに井戸が完成したのでお知らせいたします!

 「カンボジア井戸

カンボジア井戸

とっても素敵な笑顔です☆
本当に、元気もらいました!!

幸せ師の鑑定料の一部が、世界を笑顔にする活動に使われております!
この井戸は、皆様の井戸でもあります☆

ぜひ、この喜びを共有してください☆

以下は、この井戸についての詳細です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
井戸を掘った場所は、カンボジアの首都プノンペンから車で約3時間30分の所にある、
プレイヴェン州のクランヴェーン村です。

村の人たちは井戸が出来る前は、一番近くの井戸まで、
毎日バケツを持って往復して水を運んだり、不衛生な池の水を使ったりしていました。
井戸完成後は、いつでも水浴びが出来たり、きれいな水で料理や洗濯もできるようになりました。
この井戸は、複数の家族で仲良く使われています。

また同時に行った井戸水のヒ素検査で、ヒ素濃度10ppb未満と
カンボジアの飲料水としての基準〔50ppb未満〕内で、安全だと確認されました。

御支援でたくさんの村の人たちやこどもたちに笑顔と安心を届けることができました。

本当にありがとうございました。

今後とも、応援よろしくお願いします。
どうかお体に気を付けて、無事故で健やかにお過ごし下さい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これからも世界に笑顔を広げていきます☆
皆様のご協力、ご声援お待ちしております☆

ノルウェイの森 〜映画と原作〜

 映画、ノルウェイの森を観た。
 
 素晴らしかった。
 ただ、周りにオススメする映画の類ではないと思う。
 原作同様、「ある人には強く愛され、ある人からは強く拒否される」作品だと思う。

 原作は、誰もが知るベストセラー作品だが、この作品を全て読んだ人となると、おそらく発行部数の10分の1もいないと思う。

 だから僕は、もっとも人生で感銘を受けたこの本を、誰にもすすめたことがない。
 この作品は、「優れている、優れていない」とかではなく、純粋に「好きか、嫌いか」なのだ。
 この作品を理解できるからといって、頭がいいわけじゃないし、嫌いだからと言って、感性が鈍いわけではない。
 
 喩えれば、お気に入りの場所のようなもの。
 思い入れがある人には、特別な場所。
 思い入れがなければ、ただの風景。

 その程度のこと。

 でも、その程度だが、お気に入りの場所と言うものは、その人の人生にとってかけがえのないものであり、時には生きる支えにすらなったりする。
 そんな作品なのだ。

 だから、この作品を否定することは悪いことではないが、この作品を深く愛する人を否定することは誤りだ。
 それは、その人のお気に入りの場所を否定することになるからだ。
 誰にそんな権利があるだろうか?

 僕は、これまでの人生であきれるほど本を読んできたけれど、もっとも読み返した本はノルウェイの森である。
 それは、私が読んだ本の中でベスト1だったからではなく、ただその世界観が「お気に入りの場所」となったからだ。

 それほどこの本を読み返した僕だが、それでも映画を観て、さらに作品への解釈が深まった。

 まず、これは有名な話ではあるが、この作品のテーマは「生と死」である。それは、村上春樹自身も述べている。
 直子は「死」を色濃く背負う女性であり、緑は「生」に満ち溢れる女性である。
 主人公であるワタナベは、「女(愛)」というかたちで具現化された生と死を彷徨い歩く。

 そして、これは映画ではカットされていたが、原作では、直子のもとから帰ってきたワタナベをみて、緑が「どうしたのワタナベくん。まるで幽霊でも見てきた様な顔してるわよ」という台詞がある。
 原作だと、それは頭では理解できるのだが、映画を通してみると、肌がピリピリするほど感じることができる。
 原作は、あまりに文体が軽妙すぎて、主人公たちの心情を見失ってしまうことがある。
 苦しみも、悲しみも、なんだか他人事のような気になってきてしまうのだ。
 しかし、映画ではこの葛藤が非常に巧妙に表現されていた。
 主人公たちに、血が通うのだ。(もっとも、主人公に血が通わない軽妙さは、村上作品の醍醐味なのだが)

 僕は、原作を何度読んでも、直子が死ぬのは作品の都合でしかない気がした。
 そりゃ、作品上は直子を死なせれば、緑に戻っていけるけど、たしかに直子の死は必然だけど、自然ではないのではないか? と考えていたのだ。
 でも、この映画を観て考えが変わった。
 どう考えても、ワタナベと直子のハッピーエンドは考えられない。
 しかも、ワタナベは緑と出会ってしまった。

 もし、緑という存在がなければ、この物語の結末は後追い心中になったかもしれない。
 しかし、ワタナベは強烈な生に出会ってしまった。 
 そして、ワタナベは「生きたい」と願った。

 原作で、印象的な言葉がある。
 「直子は、僕のことを愛してさえいなかったのだ」
 僕は、その意味が良く分からなかった。
 でも、今はその意味が分かる。
 ワタナベも、直子のことを愛してはいなかったのだ。
 
 ワタナベは緑を愛してしまったのだ。
 直子に抱いていたのは、愛ではなく同情なのだ。
 
 ここで、永沢さんの名台詞が活きてくる。
 「自分に同情するな。それはもっとも卑劣な人間がすることだ」
 人と人はである。

 直子に同情する=自分に同情する
 直子を愛していない=直子は自分を愛していない

 そのことに、気付いてしまう。

 最後の慟哭は、直子を失った悲しみもあるが、それ以上にそのことに気がついてしまった自分への慟哭でもある。
 そして、そのことに直子は気付いていたのだということを、自殺によって知ってしまったのだ。

 そう、直子は気付いていたのだ。
 だから、命を絶ったのだ。
 それは、死の世界からワタナベを旅立たせるためだったのだ。
 そして、この時に僕は気付いてしまった。
 キズキが自殺した理由だ。
 きっと直子と同じだ。

 そうやって、直子とワタナベに生のバトンが渡されたのだ。
 でも、そのバトンは喪失という名の錘が入っており、その錘に負けてしまうと、バトンを受けた者までも死の世界へと引きずってしまう。
 
 直子は、死の世界に引きずられ、ワタナベはバトンを受けたのだ。

 映画を観なければ、このような気づきにはいたらなかったろう。
 もう一度観たい。
 そう思わせる映画である。 
 ただし、誰も誘わずにまた独りで観ることになると思う(笑)


選択肢の多さだけが、幸せではない

 自由であること。

 それは、ひとつには選択肢の多さで表すこともできる。
 しかし、私は選択肢が多いことだけが幸せだとは思わない。
 むしろ、人を不幸にさえすると思う。

 高名な芸術家などと話をすると、ほとんどの方が「いやぁ、私には芸以外に生きる道は無かったんですよ」と、恥ずかしそうに語る。
 はじめは謙遜かと思っていたが、よくよくその方を観察すると、ちょっとした社会不適合者であることが分かる。
 つまり、普通のサラリーマンとしては到底使い物にならない人物なのだ。

 私は、かつてサラリーマンだった。
 
 企業家の多くはサラリーマンを馬鹿にするが、私は尊敬する。
 それは、私にとってサラリーマンは挫折だったからだ。
 私には、普通のサラリーマンとしての素養が無かった。
 私も芸大にいくくらいだから、あるいみ社会不適合者なのだ。
 ましてや、繰り返される毎日など、到底耐えられなかった(それは、わがままとかではなく、もうノイローゼになるくらいに適性が無かった)
 私は、自分にできないことをできる人は尊敬する。
 だから、サラリーマンは尊敬する。
 嫌味とかではなく、純粋に尊敬する。

 さて、私は傍から見れば、好き勝手に生きているし、自分のやりたいことだけして生きている。
 でも、それは私に言わせれば「そういう生き方しかできなかった」からだ。
 極論を言えば、私に今の生き方以外の選択肢は無かったのだ。

 その代わり、自分の生き方を貫くためには、努力もするし、勉強もする。
 それこそ、普通の人の何十倍も。

 自分の好きなことをやって生きている方と言うのは、そういう人が圧倒的に多い。
 つまり、確かに好き勝手生きているが、それを維持するのは容易ではなく、それを維持するためには、常人が想像もつかない努力を惜しまない。
 なぜ、彼らがそれほどまでに努力するか?

 それは「その生き方以外に選択肢が無いから」だ。

 「失敗したら、サラリーマンに戻ろう」なんて選択肢が無いから、必死なのだ。

 ある意味、自分の生き方を貫くために死に物狂いなのだ。

 だからこそ、あれほどの高みに達することができるのだ。

 選択肢が無いからこそ、その道を必死でひた走るのだ。

 器用貧乏の言葉通り、何でもうまくこなせる人って、結局何も極めないのは、選択肢が無駄に多いからだと思う。

 結論を言えば、人が幸せになる要因は
 「外部要因(社会的)においては、選択肢は多いほうが良いが、内部要因(自己)においては、選択肢は限られたほうが良い」

 というものだ。
 やはり、明治維新前のように、農民は農民、とう選択肢の無さでは、幸せはつかみづらい。
 だから、そういう社会的選択肢は多いほうが良い。
 でも、だからといって、個人までもが何でもやれてしまうというのは、うらやましいようで、実は不幸なのかもしれない。

 


夜明け前が、一番くらい

  「夜明け前が、一番暗い」

 これはもう、実感して真実だと思います。

 いま、正直キツイです。
 いろんなことが重なって、かなりへこたれそうです。

 〇今年から販売士協会の会長になることになりました。
 〇幸せ師の活動は、おかげさまで順調ですが、順調ゆえの重圧もあります。
 〇本業のほうでも、新しい事業を立ち上げます(秘密です☆)
 〇今年は、接客ロールプレイング大会という、一大イベントを初めて立ち上げました。
 〇今年は「くんち」の踊町でもあります。

 かなりの重圧が、そして人間関係が、複雑に絡み、正直「もういやだ」と思ってしまうときもあります。
 
 でも、そんなとき「最高」と口にするようにしてます。

 苦しいときに「最高にワクワクする」ことが出来る人間が、大きな成功を収めることを知っているからです。
 
 もちろん、心は重圧に負けそうになり、人間関係に振り回され、もう逃げ出したくもなります。
 本当に、ツライです。

 でも、今までの経験上、この「どん底」の先に、大きな光があることを知っています。
 これが、初めての挫折なら、私はへこたれていたかもしれません。
 でも、おかげさまで私は今まで「どん底」と思える経験を何度か経験しました(死にたいくらいのどん底です)
 その経験があるから「この先に、大きな光がある!」と確信を持てます。
 理屈ではないんです。
 
 なぜかは分からないんですが、谷が深いほどに、次に来る山は大きいんです。
 それも、人生観を変えるほど大きな山が待っているんです。

 色んな成功者の自伝を読んでも、大きな成功の前には、常人なら死にたくなるようなツライ経験をされてるんです。
 これは、ホントに不思議なんですけど。

 ちなみに、最近の本ではロッキー・リャンさんの「成功の真実」なんか、オススメです。
 彼こそ、自殺未遂を2回もした、どん底から這い上がった成功者です。

 これはもう、宇宙の法則なのかもしません。

 ただ、ここで言う「成功の前のどん底」には、ある約束があります。
 それは「全力を尽くしているにも関わらず、どん底であること」です。
 
 怠けた。人を裏切った。逃げた。さぼった。
 そういう結果から来る因果応報などん底の先には、光はありません。

 もう、自分では精一杯やってるし、人のためにがんばってるし、なのに、理解されなくって、結果が出なくって、苦しくて、悔しくて・・・。

 でも、そんな「自分の限界を尽くしたどん底」の先には、大きな光が待っているのです。
 きっと、そのとき限界を超えるのです。

 いま、その状況にあることを、私は経験的に実感しております。

 今は、正直つらいです。
 
 でも、きっと近々大きな飛躍が待っていると思います。(じつは、その根拠もあります)
 それまで、がんばります。

 そのとき、「ああ、この経験のおかげで、今の成功があるんだな」と思い出せるように、備忘記としてこのブログを残します。

販売士プラザ

 販売士プラザに私の原稿が掲載されたので、紹介いたします。
 たぶん、このブログ見てる方で販売士プラザ読んでる方は、ほぼ皆無かと思いますので(笑)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

     「マズローの欲求段階説」
〜「自己実現の欲求」の更にその上の段階を発見?!〜

           

            
 販売士の資格取得者であれば「マズローの欲求段階説」は既知かもしれない。

 マズローによれば、人間の欲求は「生理的な欲求」にはじまり、「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認の欲求」を経て、「自己実現の欲求」が頂点ということになっている。

 私は、つねづね、この説に疑問を抱いていた。

 そして、脳科学や様々な自己啓発書について学んだ結果、「自己実現」のさらにその上があることを確信した。

 それは「感謝と奉仕の欲求」である。

 

 私が、「自己実現の欲求」に疑問を抱いたのは、自身の経験によるものだった。

 私は30代において、ささやかながら自分がしたいことはやり尽くしてしまった。

 手帳に夢を描き、がむしゃらに20代をつっぱしり、30代前半には(私にとっては)十分と思える自己実現を果たした。

 では、それでめでたしめでたしかというと、そうではない。

 突如、バーンアウト状態に襲われた。

 燃え尽き症候群となり、何もする気が起きなくなったのだ。

 救いを求めるように、様々な書籍をあたるうち、同じような症状がスポーツの世界でも往々に起こることがわかった。

 それは「世界チャンピオン」や「金メダル」をとった選手たちである。

 私のささやかな自己実現と比べるのも恐れ多いが、スポーツ選手にとって「世界チャンピオン」や「金メダル」は究極の自己実現である。

 その自己実現を果たした瞬間に、今度は目標を見失い、バーンアウト状態になるのである。

 更に調べると、経営者でも、年収5000万円を越えたあたりから、バーンアウト状態になる人が多いということが分かった。

 それくらい稼ぐようになると、もはや貯金残高は数字でしかなく、使っても使い切れない状態になるので、それ以上の欲求がなくなるというのだ。

 それまでは「じゃんじゃん稼いで、良い車に乗って、良い服着て、うまいものを食うぞ!」という、欲望のエネルギーで頑張れるのだが、すべてが満たされた瞬間、欲望がうせ、それ以上お金を稼ぐ意味を見出せなくなってしまうのだ。

 

 しかし、同じように自己実現を果たして、さらに飛躍する人がいることも事実である。

 私は、バーンアウトする人間と、更に飛躍する人間の違いを調べてみた。

 すると、面白いことが分かった。

 自己実現を果たした後、更に飛躍する人間はほとんどといってよいくらい「奉仕活動(ボランティア)」をしているのである。

 

 一部上場企業で、更に人格者として名高い経営者を調べてみるといい。

 ほぼ100%なんらかの奉仕活動をしているはずである。

 

 そういう人を指して「悪いことして稼いでいる免罪符だよ」とか「そんなの寄付金控除が受けられるから、世間体のために寄付してるんだよ」なんて輩もいる。

 私だって、昔はそう思っていた。

 ましてや、ボランティアを、どこか偽善めいたものにしか思えなかった。更に悪いことには、ボランティアを自己犠牲としか思えなかった。

 しかし、ここで強調しておくが、ボランティアは「自己犠牲」ではなく「究極の喜び(エネルギー)」である。

 

 私は現在、週末の金・土曜日の夜だけ、店を閉めた後に手相占いをしている。

 「幸せ師」と名乗り、活動のコンセプトは「関わる人を幸せにする」である。

 占いの内容も、占いを当てることより、いかにその人を幸せに導くかに重点を置いている。

 そしてさらに、売り上げの10%を世界を幸せにする活動(寄付)にあてている。

 これが非常に好評で「みなさまのお金で、バングラディッシュの女の子の生活費を賄っています」などの報告をすると、みんな純粋に喜んでくれる。

 人間は、元来誰かを笑顔にすることに喜びを感じる生き物なのである。

 

 はじめは、カンボジアに井戸を掘りたくて始めた活動だったが、今では大好評となり多いときは一日50人以上のお客様が並んでくださる。しかも、寒空のもとで1時間待ちである。

 もう、感謝の言葉しかない。

 当然、私自身にも負担はかかる。

 朝は9時半から仕事を始め、閉店後、さらに深夜2時近くまで手相鑑定を行っている。

 実に16時間労働である。

 毎週末、そんな感じだ。

 手相鑑定はカウンセリングに近いところがある。一日、仕事が終わった後に50人近くをカウンセリングしていると思っていただければ、少しは大変さが伝わるだろうか?(ちなみに鑑定後、私の体重は1キロ近く減っている)

 普通に考えれば、体が持つはずはない。

 

 正直言って、ただの小遣い稼ぎなら夜10時くらいで適当に閉めて、気持ちよく酒でも飲んで帰ることだろう。

 しかし、私を深夜2時まで働かせるモチベーションは「売り上げ10%の寄付」である。

 この稼ぎが、世界中の子どもたちの笑顔につながると思うと、魂がワクワクするのである。

 自分自身の欲求を満たすだけなら、こんなにはがんばれない。 

 その先に「感謝と奉仕の欲求」があるから、常識を超えたがんばりができるのだ。

 

 ぜひ、この話を紹介させてほしい。

 女子ソフトボールが金メダルを取ったことは、まだ記憶に新しいだろうか?

 上野投手の常軌を逸した頑張りの投球は、日本中を感動の渦にまいた。

 そんな上野投手には、常にあるイメージがあった。

 それは「金メダルを取って、亡くなってしまった恩師の墓参りに行く」というイメージである。

 さらに、彼女は金メダルをとる目的を「ソフトボールをしている子どもたちに、夢と希望を与えるため」と言い切っている。

 そう、彼女は初めから「金メダル」による自己実現が目的ではなく、恩師への「感謝」と、子どもたちに夢を与えるという「奉仕の欲求」をもっていたのである。

 だからこそ、あれほどの結果を残せたのである。

 「感謝と奉仕の欲求」は「自己実現の欲求」を超える好例だ。

 

 最後に、マズローについて語りたい。

 じつは、彼は晩年「自己実現の欲求」のさらにその上に「自己超越」の段階があることを発表している。

 これが、世間にあまり知られていないのは、あまりにも残念である。

 そう、ちゃんとマズローも「自己実現の欲求」のさらにその上があることに気づいていたのである。

 わたしは、ちょっぴりマズローを超えた気でいたが、いやはや、やはり偉人は偉人である。

 私などは、足元にも及ばない。

 


成功途上

 最近、人間関係に悩む坂口です(笑)

 私自身、きっと変わってしまいました。
 たまにしか会わない昔からの友は、私を変わっていないと言ってくれます。
 そう、本質は変わりません。

 でも、やはり、それでも変わっていっているのです。
 その変化は、ある人には受け入れられるし、ある人には拒絶されます。

 最近「ある人に、ものすごく愛される」か「ある人に、ものすごく嫌われるか」の両極端になってきています。
 中庸というものが減ってきています。
 振れ幅が大きいのです。

 でも、それで良いのかもしれないと、最近思うようになりました。

 良いほうに考えれば、これはフィルターであり「私をすごく好きになってくれる人間」と「私を受け入れない人間」に分けてくれているのです。

 でしたら、「すごく好きになってくれる人間」と付き合っていけば良い。

 そう、以前より、ものすごく人に嫌われるようになった反面、ものすごく人に愛されるようにもなったのです。

 ある意味、濃い人間関係が築けるようになりました。

 それでいいのだと、今は思っています。

 いつかは、みんなに愛される人間になりたいとは思いますが、今はまだ途上だし、みんなに愛される人間になる前に、これは必要な試練、というか、ひとつの成長過程ではないかと思っています。

 このブログの一つの特徴に、私がまだ成功への階段を上っている途中だということがあります。
 そう、私は決してまだ成功者ではありません。
 
 世の中に出ている本は、成功者が、成功した後に発表した本ばかりです。
 そう、結果ありき、なのです。
 でも、それってちょっとずるいですよね。
 だって、成功してるんだから、何言っても認められる。

 私は、まだ途上。
 だから、途上でしか感じれないものを、こうして記していき、同じく途上でもがく方々の参考になれば最高と考えています。
 
 まだまだ、これから。
 
 このブログの読者で、途上にいらっしゃる方、ともに情報を共有しながら、共に成長を楽しみましょう♪


あけましておめでとうございます

 あけまして、おめでとうございます。

 気がつけば、一ヶ月以上ブログを放置しておりました(汗)

 おかげさまで、現状は充実して忙しくしています。
 年末から、今までにかけて、かなりの情報、知識が集まってきており、さっそく年初に掲げた目標の到達がみえてまいりました。
 
 人は、生きる以上葛藤があるし、悩みがあります。

 でも、それを乗り越えられる術もあるはずです。

 ひとつひとつ、本気で対応していけば、解決できない問題はないと本気で考えます。
 
 今、私はそれらの葛藤や悩みと全力で向き合っております。

 基本、幸せでハッピーにやってます。
 傍から見れば、十分幸せだと思いますし、私自身も「幸せだなぁ」と本気で思います。

 それでも、生きるうえでの葛藤は付きまといます。

 それを、克服するすべを学んでいる途中です。
 とても、解決策などなさそうだったのですが、本気で取り組めば、求めていた情報が入ってきました。

 はじめから「生きることは苦しみ、カルマだ」なんて、解決を放棄しては、はなから解決などないのです。
 だから私は、本気で取り組みました。

 私は思います。
 「人は、誰一人あますことなく、幸せになるために生まれてきた」
 さらに、こう思います。
 「苦しみ、困難は、幸せになるためのヒント」
 よく聞く言葉ですよね。
 でも、この意味をもう一度噛み締めましょう。

 この意味を、本当に理解すれば「生きることは苦しみだ」なんてことはありえないわけです。
 幸せになるために、苦しみや困難があるわけですから、「生きることは幸せ」であるのです。

 すごく多くの情報が一気に入ってきて、インプットばかりが先行し、アウトプットが追いつきません。
 これから、少しずつアウトプットしていきます。

 今年は、また一つ大きな飛躍のための変化が、このブログにも現れるかと思います。
 構想は、頭の中にすでにあります。

 これからも、よろしくおねがいいたします。

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