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選択肢の多さだけが、幸せではない

 自由であること。

 それは、ひとつには選択肢の多さで表すこともできる。
 しかし、私は選択肢が多いことだけが幸せだとは思わない。
 むしろ、人を不幸にさえすると思う。

 高名な芸術家などと話をすると、ほとんどの方が「いやぁ、私には芸以外に生きる道は無かったんですよ」と、恥ずかしそうに語る。
 はじめは謙遜かと思っていたが、よくよくその方を観察すると、ちょっとした社会不適合者であることが分かる。
 つまり、普通のサラリーマンとしては到底使い物にならない人物なのだ。

 私は、かつてサラリーマンだった。
 
 企業家の多くはサラリーマンを馬鹿にするが、私は尊敬する。
 それは、私にとってサラリーマンは挫折だったからだ。
 私には、普通のサラリーマンとしての素養が無かった。
 私も芸大にいくくらいだから、あるいみ社会不適合者なのだ。
 ましてや、繰り返される毎日など、到底耐えられなかった(それは、わがままとかではなく、もうノイローゼになるくらいに適性が無かった)
 私は、自分にできないことをできる人は尊敬する。
 だから、サラリーマンは尊敬する。
 嫌味とかではなく、純粋に尊敬する。

 さて、私は傍から見れば、好き勝手に生きているし、自分のやりたいことだけして生きている。
 でも、それは私に言わせれば「そういう生き方しかできなかった」からだ。
 極論を言えば、私に今の生き方以外の選択肢は無かったのだ。

 その代わり、自分の生き方を貫くためには、努力もするし、勉強もする。
 それこそ、普通の人の何十倍も。

 自分の好きなことをやって生きている方と言うのは、そういう人が圧倒的に多い。
 つまり、確かに好き勝手生きているが、それを維持するのは容易ではなく、それを維持するためには、常人が想像もつかない努力を惜しまない。
 なぜ、彼らがそれほどまでに努力するか?

 それは「その生き方以外に選択肢が無いから」だ。

 「失敗したら、サラリーマンに戻ろう」なんて選択肢が無いから、必死なのだ。

 ある意味、自分の生き方を貫くために死に物狂いなのだ。

 だからこそ、あれほどの高みに達することができるのだ。

 選択肢が無いからこそ、その道を必死でひた走るのだ。

 器用貧乏の言葉通り、何でもうまくこなせる人って、結局何も極めないのは、選択肢が無駄に多いからだと思う。

 結論を言えば、人が幸せになる要因は
 「外部要因(社会的)においては、選択肢は多いほうが良いが、内部要因(自己)においては、選択肢は限られたほうが良い」

 というものだ。
 やはり、明治維新前のように、農民は農民、とう選択肢の無さでは、幸せはつかみづらい。
 だから、そういう社会的選択肢は多いほうが良い。
 でも、だからといって、個人までもが何でもやれてしまうというのは、うらやましいようで、実は不幸なのかもしれない。

 


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